急に書き留めておこうと思ったこと

昼下がりに思ったこと。
最近思っていること。


誰かとは違う「個性的」な自分であることを信じつつ、
でも思っていた「個性」の凡庸さと、憧れでもあった「個性」が織りなす
コミュニティに踏み入れる勇気もなく、なんだかんだやっていた数年前。
いま、私は非常にこう、ふらふらと気の向くままにやっているわけですが、
昔の「わかってもらえない」とか「通じない」ということには、
何か取り立てて物足りなさを感じることもなく、
かといって「通じる」からといってそれが「うれしい」ことでもなくなってきた。
というより、世の中「通じない」ことが圧倒的に多くて、
全てはきっとベン図的に重なってできていて、
圧倒的に「通じない」ことを知らなければいけない。


私がおもしろいと思うものは、だれかにとっておもしろくないかもしれない。
私がいいと思う音楽は、だれかにとって雑音でしかなく、不快かもしれない。
私がいいと思う家は、だれかにとってただの古い価値のないものかもしれない。
私がいいと思う服は、だれかにとって絶対自分では着たくないような、取るに足らないものなのかもしれない。


こんな当たり前なことなのに、でも、この「当たり前」にしっかり実感として気づくまでに
本当にたくさんの時間がかかったなと思うのです。


でも、それでも何か、だれかに「わかってほしい」と思う時もあります。
いや譲れんものがある気がしたというか、これだけは「自分の尺度」を信じたいというか。


それが「食べ物」です。
私がおいしいと思うものを「おいしい」と言われたい。
「これは、ちょっとな」と思うものは、共感したい。


これは、ただ、気取ってない食べ物はまずだいたいうまいということ。
それを基本に考えています。
そこを根底にして、派生して、「食べる」ということを考えて、
「おいしい」と言い合いたい。


いま、それが、私の思いです。


いつか、この今の思いも消えるかなー


食べることに興味が出てきたのがここ数年なので、
まだまだ「食べる」を語るには、人生の諸先輩たちに比べたらあまっちょろいのですが
(やはり、10年とかたったら、この「食べる」ものへの思いもなくなるのかな)
「おいしい」ものをたくさん知ってる人になりたい。
「おいしい」は通じてほしいなぁ。
急に、そう思ったのです


思い立ってとりとめなく書いてしまいました。


お久しぶりでした。