ひさびさに






Macさんが、カーネルパニックを起こしうんともすんとも言わなくなって、修理に出されて返ってきました。
はてさて、今後も同じようなことあるかな。


最近、ちょっとずつ、ここに来てちょっとずつ
私の周りの世界が変わり始めているような気がします。
この3ヶ月ぐらいで、はじめて会ってお話をした人がたくさんいます。
(仕事以外でね)


ずっと前から「自分の人見知り問題」についてよく考えているのですが、
「いや待てよ、わたし人見知りじゃなくない?」というのが最近の雑感。
人間関係に臆病なだけで、ぜんぜんはじめての人とでも話せるのだな。
てか、むしろ、ぜったいたまにしか会わない感じの人とかだとすごく楽にいろいろ話せる。
これぞ、いかに。(当然といえば当然)


わたしは、大学時代、スパルタローカルズの東京バレリーナをCDJで爆音で流しては
「マイノリティ〜」と叫びながら、大学の仲間と踊ることがありました(笑)
マイノリティって逆に言えば、出会ってしまえば強固。
枠組み、クラスタ。同胞意識。
居心地がいいし、楽しいのです。
一つ同じだと、同心円的にまーほぼ一緒ですから。
ともすれば、生い立ち、クラスでの立ち位置、部活、好きな食べ物・・・
想像力が働かせやすい環境が想起できます。


ただ、おそろしいのが居心地がいいところを「社会」だと思ってしまうこと。
これだけはどうにか、絶妙なバランスを保っていきたい。


耳障りなものからも逃げたくありません。
わたしは自分の居心地のいいものを正義だと思いたくない。

だからこそ、わたしは、普通の会社で働く意味があるし、そこで「誰とも話が通じない」と思わなきゃいけない理由があると思う。
ただ、これは決して、自分の関係するものに優劣をつけるものであってはいけないとも思います。
どちらが良くて、どちらが悪いのではない。
自分と同じ考え方でなければ「理解できない」とかそういうことでもないのです。
歩み寄りなのです。


そして、結構それって難しいことでもあるんだよね。
お互いをお互いに認め合い、同時にお互いをお互いに諦め合うことも大事。
私は「低く見積もること」はそんなに悪いことだと思わないのだ。
その中で、何か感じるものがあって人と話ができる。
そういう環境に常に身を投じていけたらと思います。


そんなことより、7月2日休みたいな。
実質、月初め。月曜日。
インディーファンクラブはぜひ来年は日取りの再度の検討からはじめて頂きたい・・・